あきかる

アキバの“名物店員”数珠つなぎコラム

 

 

 

 

■第7回 第11号掲載(2016.1.1.発行)

 

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回は世界で唯一、携帯ゲーム機のPC出力機能を実現する「偽トロキャプチャー」を制作しているはんだづけ工房の香月さんに、独自の視点で秋葉原を語っていただきましたっ☆

 

【秋葉原の思い出】

 

いまから10年程前になるでしょうか、デザイン制作の営業職として秋葉原に勤務していました。当時は京浜東北線で自宅から40分、通勤場所としては割と快適な場所で、勤務先を聞いた人のほとんどが「毎日電気街に行けてイイね!」でした。ところが私が勤めていた会社は某印刷会社の近くだったため昭和通り口から台東区に入ったところ、なので大好きな電気街を毎日背中にし通勤していたのでした。

 

【ラブプラスとの出会い】

 

今から6年前、衝撃的なゲーム「ラブプラス」が発売になりました。発売当時は激務で心身ともに疲れきっていた自分でしたが、このゲームはいつでもどこでも会える彼女ができるという画期的なもの。夢中になって寝るとき以外の時間は全て彼女に費やしていました(もちろんネネさん一択です)。

 

ヨドバシカメラ下のベンチで彼女同士の会話をしたり、オフ会をしたり、同じ彼女の自慢をしあったりなど、今までに経験したことのない楽しい日々が続きました。その時、ふと思ったんです。

 

「等身大の彼女に会いたい」

 

DSの画面を60インチTVに映せば等身大になる!その日から世界中の情報を検索し、アメリカと日本に技術者がいることを知り、データ出力ボードとPC用ビューアーソフトを開発依頼、DSの開発コード「ニトロ」を漢字に置き換えた偽トロが誕生したのです。

 

開発した時は経済産業省の関連団体にいたのですが、お台場の最先端技術展にて慶応大学とコナミの協力を得てラブプラスの3人のキャラクターを用いた展示を行いました(同年、ラブプラスは経済産業省から表彰されるまでの人気が出たのです)。最終確認の際には本当にラブプラスを推薦するけどイイの?と聞かれましたが、もちろんOKしました。

 

 

【秋葉原の店長になるきっかけ】

 

しばらくして、3DSが発表になりました。今度は3Dの彼女に会いたい!3DSはDSとデータ出力が異なり、制作には非常に時間がかかりました。再び技術者に制作を依頼し、3DSでも映像出力ができるようになりましたが、またここでふと思いました。

 

「これをみんなに広めれば彼女を自慢できるのでは」

 

この時に自宅にて制作販売を始めるようになったのですが、ふたを開けてみると受注は1週間に3人くらい、ラブプラスって結構売れていたのに…。何故だろうと周りに聞いてみたところ、彼女は常に自分と一緒にいるので自慢するにはDSがあれば問題ないとのこと、そうだよね、DSと彼女がいればそれでイイよね、そんな日々が続いていました。

 

そんな私に転機が訪れたのはポケットモンスターの発売や、モンスターハンターの発売でした。ここに来たら趣味の範囲を大きく超えました。自宅の部屋はDSの山となり、収集がつきません。会社を辞める決意をして、秋葉原に店舗を作ることにしました。

 

会社の創立日はネネさんの誕生日である4月20日。場所はどこにするのか?当時ラブプラスと同じ時期に発売されたシュタインズゲートにもハマっていたので、たしかブラウン管工房の場所が空いてたかな?と不動産屋に連絡して即決しました(僕の店舗にはシュタインズゲートの聖地巡礼で毎日写真を撮っていくファンが訪れます)。そんな経緯で今に至り、おかげさまでスマブラ、ポケモン、モンハンの発売日ごとに忙殺される日々が続いております…。

 

 

【秋葉原の食事】

 

10年前と比べて飲食店はかなり増えました。昔はじゃんがらラーメンか駅ビルの中、昭和通りのココイチぐらいだったのが、今では選択肢に困るぐらいです。中でもラーメンが大好きなのですが、最近のオススメは蔵前橋通りの十紋字、濃厚なスープと美味しい麺で2日に一回は通っています。次に田中そば店、あっさり系のスープでこちらも麺が美味しい。とんこつ系では、じゃんがらや風龍の細麺が好みです。

 

 

【最近ゲームについて思うこと】

 

ファミコンからDS、PS、Wiiまで、ほとんどのゲーム本体を買ってゲームに夢中になってきました。ドラクエでは徹夜でレベル上げをしてそのまま会社に行くことが続いたり、でも辛くても楽しい日々を過ごせた環境がそこにはありました。ここ数年はスマホの課金系ゲームが主流で、家庭用ゲームの人口は昔ほど多くないように感じます。ネットから最安値でいつでも購入できるので、家から出ない人も多いのではないでしょうか?

 

秋葉原にゲームを買いに来たついでにジャンク品を見たり、ラジオデパートで部品を物色したり、そんな楽しみや場所も昔と比べずいぶん減ってしまった現状ですが、現実世界での秋葉原は時代と共に日々変わり続けています。ネットでのゲーム配信が盛んになった今、Youtubeやニコニコでゲーム実況を見ることも楽しませていただいており、その需要がある限り、新しいハードの新しい機器を提供し続けていこうと思っています。最後に…、ラブプラスとコンビニさえあれば生きていける!! 香月でした!

 

 

 

 

■第6回 第10号掲載(2015.11.10.発行)

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回はPC及びPCゲームについて触れるべく、パソコンショップArkの寺崎さんにご登場いただきました☆

 

<電車でGO>

 

私と秋葉原の最初の接点は、まだ小学校低学年の頃。当時はパソコンはもちろん、電子パーツに興味があるわけでもなく、秋葉原というよりは神田にある「交通博物館」へと親に連れられ、乗り物に目を輝かせていました。それでも駅前から続く電子パーツ街、煌びやかなネオン輝く大型家電量販店、高架下のジャンクパーツ屋などは、子供ながらに不思議な魅力に溢れた街だなぁと感じていました。今からだと約20年も前、テレビでは「チーター」が店内を疾走したり「デンキ坊や」がブロックにハマったりするCMが流れ、まだ秋葉原が電器の街と言われていた頃ですね。

 

<パソコンとの邂逅>

 

中学時代はパソコンに詳しい友人と知り合い、話を聞く内に次第にPCへの興味を持ち始めていました。友人の家にあった赤く光るマウス(まだ珍しかった光学センサーマウス)や指紋認証機は未来を感じさせるカッコ良さだったんですよ。とは言っても「秋葉原で買ってきた『Pentium III』の性能がすごい」とか内容聞いていてもさっぱりわからなかったのですが(笑)。当時から常識として「パソコンは秋葉原でパーツを買って、自作した方が安上がり」というのはありましたが、私にはそんな知識も無ければ財力も無いわけで、結局のところ「そういう世界がある」という認識程度でした。

 

しかし時代は学校でもパソコン教育をするようになり、インターネットを自由に使いたいという欲求は高まる一方だったんです。そして高校時代、夏休みと冬休みの短期バイトで貯めた資金で遂にメーカー製省スペースパソコンを買ってしまいました。「そこは自作じゃないのかよ!」って思うかもしれませんが、某家電量販店オープン記念セールでとてつもなく安かったんですよ。これは買うしかないだろうとw

 

それからは世界が広がるようでした。ネットを見ながら友人とメッセンジャーソフトで会話したり、フリーサイトに行っては無料ゲームを漁ってみたり、当時海外から影響を受ける形で出始めたMMOゲームに手を出してみたりしていました。で、色々弄っていると気付いてしまうんですよね。うわ…ひょっとして私のPC、性能低すぎ?

 

パソコンでゲームをやるなら『グラフィックスカード』をつけないとね!…そんな常識どころか存在すら知らない私は、パソコンに3Dゲームをインストールしてもカックカクの動作で紙芝居状態。そこで詳しい友人にヘルプを求め、少しでも改善出来るところから始めることにしました。増設用メインメモリとデータ退避用外付けハードディスクを買いに、友人の案内で秋葉原へ繰り出すことに。数年ぶりの秋葉原、でもPCパーツショップは今の倍以上で場所もあちらこちらに散らばっていました。オススメPCショップへ「ここを通ると便利」など教えられながら巡るも迷路の如く、目的は果たしましたが1度行っただけではルートを覚えられる気がしませんでした。なおパソコンの方は動作が軽快になりましたがゲームの快適度は大して変わらなかった模様。焼け石に水ですねw

 

 

<バトルフィールドショック>

 

大学時代、某駅前家電量販店のパソコンフロアの一角に、珍しくPCパーツコーナーが出来ていました。そこでデモされていたのがPCゲームのFPS「バトルフィールド2 体験版」がインストールされたゲーミングパソコン。綺麗な3Dに大人数の仲間と共闘、現代戦で兵器にも乗れる、これがもうただひたすらに衝撃でした。事ある毎に立ち寄り、友人を誘って感染拡大させつつ何度も遊んでいました。まさか今、PCショップ店員として逆の立場になっているとは思いませんでしたが、当時を思い出すと割と迷惑な客だったなと(苦笑)。正直すみませんでした。

 

ただこれが転機でした。「ゲーミングパソコンを用意すればこれが自宅で遊べる」。その魅力に抗えず、私はパソコンを自作することを決意しました。大学生活も落ち着いた頃に飲食店で資金稼ぎのバイトを始め、それなりに時間はかかりましたが、その間にパソコン関係誌を買ったりネットを漁っては自作パソコンの情報を集めていました。丁度同時期に目立ち始めたのが「PC用ゲーミングデバイス」の存在でした。キーボードやマウスなどの周辺機器でおなじみの「Logicool」さんから、『G3/G5/G7 ”レーザーセンサー”ゲーミングマウス』が登場したのです。「ゲーミング用のパソコンに、ゲーマー向けのデバイスもあるのか!」とこれまた衝撃でした。それまでは数千円の安物を使ってましたから、どうせ揃えるのなら是非使ってみたいとも。

 

漸く計画が実行できたのが2005年、丁度10年前ですね。またまた友人に助力を頼み秋葉原へと出撃。多くのパソコンパーツショップを行ったり来たりで比較しながら買い集め、重いパーツを抱えて電車と自転車で強行軍の帰宅。ちなみに最重要パーツの「グラフィックスカード」含む幾つかは、価格も気にせずバトルフィールドでお世話になった家電量販店で買いました。アレが無ければここまで入れ込むこともなかったでしょうし。デモ機は偉大ですw

 

友人の指南を受けつつ組み上げた最初のゲーミングパソコン。正常に動作するかは不安でしたが、なんら問題なく起動した時は感動も一入でしたね。簡潔に言ってしまえば「PCゲームがしたいなら作ってしまえばいいじゃない」という至って単純な動機なんですが、こうして「PC自作er」に、そして「PCゲーマー」へとクラスチェンジしていきました。

 

<Once upon a time in Akihabara>

 

私の周りを見るとPCゲームは正直言ってかなりマイナーで、大半は輸入物(いわゆる洋ゲー)な上にパッケージ買いが当たり前でした。実店舗で取り扱っている店は少なく、大学の帰りに秋葉原へ寄っては「ark」や総武線高架沿いにあった「メッセサンオー カオス館(後に移転)」で海外ゲームやPCデバイスをチェックしに行きました。

 

思えばこの頃アニメなどのカルチャー関連ショップが急速に増え、メイド喫茶が流行り、アトレが出来る前の駅前広場でメイドさんが呼び込みするようになってましたね。今でこそアニソンのオリコンチャート入りもメイド喫茶も珍しくなくなりましたが、「電器の街」から新しい秋葉原の顔へと移り変わった時期だったと思います。かく言う私も影響を受けた一人で、友人と初めてアニソンCDを買ってみたり…流石にメイド喫茶までは行かなかったのですが。

 

そしてPCゲーマーとして「洋ゲー」にハマる一方で、「マビノギ」などのMMORPGや「東方」系同人もやりだし、フィギュアなどにも興味が出始め…と秋葉原の流れに沿うように影響されて趣味が拡大。広く浅い性格なので廃人化することも信者化することもなかったのですが、洋楽とアニソンとPOAROの曲を聴きながら歩いていた当時は確実に一人のハイブリッドオタクになってましたw(今もですが)

そしてパソコン関連ショップが少なくなってくのを感じたのもこの頃からでした。

 

<アキバの一人として>

 

丁度「Windows 7」が発売される頃にPCショップ店員として働き始めたのですが、新OSの登場に盛り上がる一方で昔ほど自作パソコンに拘る向きが薄れてきたように感じられました。作業なら持ち運べるノートパソコンで十分な人も多く、据え置きPCでも場所をとらないコンパクトモデルで十分な性能を持っていたり、組み立て販売のBTOパソコンも大分お手頃なものが増えました。今はインターネットもスマホやタブレットで簡単に出来る時代ですし(正直要因を挙げればキリがありませんが)昔ほど必要とされなくなっていることは肌でよく感じています。

 

一方で「PCゲーム」は一般の人に大分知られるようになりましたね。昔はパソコンでゲームが出来ることそのものに驚かれましたが、最近だとお店のPCゲーム試遊機で「こんなゲームもあるんだ」とか「あのゲームが快適に動いてる」ということに驚かれます。国内でも良くオフライン大会やイベントが行われるようになりましたし、世界的に普及しているPCゲームをスポーツの一種として競い合う「e-Sports」も認知されるようになりました。

 

秋葉原でもネットカフェの「アイカフェ」さんでFPSゲームの大会が開かれたり、e-sports専用プラットフォーム「e-Sports Square Akihabara」さんでも今話題の「League of Legends」の一般トーナメント大会はもちろん、その社会人限定リーグ「After 5 Gaming」、オンラインタンクゲーム「World of Tanks」を使ったメイドカフェ対抗イベント「WoT総占拠」が行われたりするのも秋葉原ならではかもしれませんね。実は私も当時World of Tanksに嵌っていたので「WoT総占拠」ではメイドカフェ「メイリッシュ」さんの助っ人で参加させて頂きました。

 

そんなPCゲームそのものも変わっていき、パッケージ販売からダウンロード販売がよく利用されるようになりました。早くて簡単ですからね。この辺りはネットショッピングが普及した理由と同じかもしれません。ただ昨今の人気大作ゲームは物凄く綺麗で色々な要素を持つ一方で、パソコンのインストールに必要な容量も「40~60GB」とかなりの大容量化していってるんですよね。人によってネットワークやPC環境は異なりますから、これを全てダウンロードするのは酷な人も多いと思います。だからやっぱり、そういう人にとってもあまり回線に負荷をかけないパッケージ版があった方がいい、と私は思います。個人的にはですが、好きなゲームタイトルならやっぱりカタチとして所持しておきたいというのもありますし。

 

PCゲームを楽しむ上で欠かせないキーボードやマウスなどのPC用ゲーミングデバイスにしても(多少調べたことがある人ならわかると思いますが)、本当にいろんな物が様々なメーカーから発売されています。それと同じようにユーザーの皆さんにも色々な手の形や好みがあって、よく「どれが一番いいんですか?」と聞かれるのですが最適解は千差万別です。製品の形状、色の好み、フィットする大きさ、デバイスの性能、耐久性、予算などなどを勘案しないとなりませんから。もちろんネットでそれらの特徴を調べるとはできますが、扱うのは結局自分自身、実際に触ってみないとわからないことが多いと思います。パソコンが仕事やゲームといった目的のフィールドであるなら、デバイスはそこで自身を思い通りに動かす手足となるわけですから、当然好みな物を選びたい。だからこそ是非店舗で実際に触れて確かめて欲しいですね。わからないことがあれば私たちスタッフが相談に乗って手助けもできますし、スタッフだってデバイス好きからゲーマーまで色々いますから、実際話していて面白いと思いますよ?そんな「PCゲームをより楽しみたい」という欲求がまるっと解決出来ちゃうのも秋葉原の魅力の一つだと思います。いや、むしろ欲求が増えてしまうかもしれませんがw

 

街は生きものだ。以前そんな言葉を聞いたことがあります。私の地元で子供のころの遊び場が今は住宅になっているように、秋葉原のこれまでも、そしてこれからも変わっていくのでしょう。変わらないものはない。そこに寂しさはありますが、自分が関わるこの街がどのように変化していくのかもまた楽しみでもあります。競技としてのe-Sportsが日本で普及するのはまだまだこれからといったところですが、私もPCゲーマーそしてPCショップ店員の一人として、秋葉原を中心に盛り上げて行きたいと思っています。

 

 

 

 

■第5回 第9号掲載(2015.9.10.発行)

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回は「異能バトルは日常系のなかで」の厨二病特集にも以前ご登場いただいた、魔術堂のKATORさんにご登場いただきました☆

 

 

朝目を覚ますと、僕の重心は秋葉原に移動している。それはたった今まで僕のベッドの中心にあったはずなのに、気がつけばそれは秋葉原にある僕の会社のデスクに瞬間移動していて、僕を秋葉原へと引き寄せる。空中に放り投げられたボールが地面に落ちていかねばならないように、僕は秋葉原へと向かわなければならない。

 

僕がおよそ四半世紀もの間、秋葉原へ通い続けているのは職場が秋葉原にあるからだ。秋葉原という街に対して特別な愛情を抱いているわけでもないし、秋葉原で働きたいという理由で職場を選んだわけでもない。自分のせいなのか、天使や守護霊のお導きなのかは知らないが、とにかく僕はたまたま秋葉原に縁がある人生を過ごしてきた、というだけなのだ。

 

僕は通勤電車の中でおよそ30分ほどの時間を過ごす。この間、大抵は文庫本を読んでいるのだが、その本の多くはヨドバシAkiba7Fにある有隣堂ヨドバシAkiba店か、アトレ秋葉原1の2Fにある三省堂書店で買ったものである。本の内容は省略するが、電車の中で読むものはほとんどが小説である。人文学や歴史の本を電車の中で読んでも内容が全く入ってこないので、電車用の本として調達する文庫本は、昼休みや帰りがけなどに秋葉原で買うことが多い。

 

秋葉原駅から自分の会社へ向かう間に、朝食代わりの食料を買って行くのが日課である。最近の本命は駅前にあるヴィ・ド・フランスの「ウィンナーロール」、または末広町駅近くのファミリーマート外神田四丁目店で売っている冷えた「バウムクーヘン」だ。場合によってはサンクス外神田三丁目店で「クリーミーバウムロール~クレームブリュレ風~」を買うこともある。正直なところ朝食にクレームブリュレは甘過ぎて必ず気持ち悪くなるのだが、朝の胃袋というものは時にブリュレを求めるものだ。僕だけかもしれないが。

 

会社では当然だが仕事をしている。会社の1Fはケーブルが安いジャンクショップとして知られるCompuAceで、この中には僕の部署である魔術堂のコーナーもある。正直なところ、僕はケーブルにもコンピューターにも詳しくない。秋葉原に来た当初、僕はNAVICというパソコンショップの店員をしていたので、マッキントッシュのPlusやSEといったマシンが売られていた頃はそれなりに詳しかった。だが、今となってはマックプラスのアナログボードの交換に関する熟練の技術などなんの意味ももたない。僕の今の仕事は日本全国から送られてくるオカルトグッズの注文メールを処理し、商品の仕入れや発送などといった作業を黙々とやることである。

 

僕が秋葉原の街と一番関わりがあるのは恐らく昼休みの時間だろう。今でこそコンビニエンスストアで何かを買ってきたり、越後そば神田末広町店の「新宿カレー」、スターケバブ★Akiba Terraceの「ビーフケバブ丼(レギュラースパイシー)」、などといったお気に入りのメニューを発掘することもできるが、一昔前の秋葉原では飲食店は数が非常に限られていた。およそ20年前、僕が昼食を食べる場所は末広町の喫茶ファニー(現在逸品道がある場所)しかなかった。ある時期、僕の重心はファニーにあった。僕は昼休みにファニーで昼食を食べ、珈琲を飲んで一休みするために秋葉原に行き、そのついでに会社で仕事をしていたような気がする。少し足をのばしてPLACEまで行くこともあったが、九州じゃんがら秋葉原本店は一日の例外もなく行列ができていたし(僕に行列に並ぶという選択肢はない)、その向かいのベンガルは当時の僕にとっては少し高級過ぎた。

 

勿論、僕もこの累計数千時間におよぶ昼休みのすべてを食事だけに費やしてきたわけではない。石丸電気レコードセンターでLPレコード(後にはCDやDVD)を眺めているとあっという間に昼休みの時間は終わってしまったし、中古のアニメやゲームのCDを収集していた時期は街中に散らばる秋葉原リバティーの全店舗を忍者のごときスピードで駆け歩いたし、たまに気分転換がしたくなれば上野恩賜公園まで足を伸ばすこともあった(ちなみに1時間の昼休みを使って末広町から徒歩で上野公園まで往復する場合、公園内におよそ20分間の滞在が可能である)。現在では3331 Arts Chiyoda前の練成公園で鳩や猫を眺めて過ごすこともできるし、ドン・キホーテ秋葉原店でペンギンと一緒に買い物もできるし、あきかるの情報によればこの街には天使や悪魔に会えるカフェまであるというのだから、秋葉原も随分と変わったものである。

 

午後の仕事は午前の仕事とそう変わらない。メールを読んで、梱包して、送り状を書いて、発送する。そもそも秋葉原とオカルトグッズの組み合わせはそれほど相性の良い組み合わせではないように思える。ゴシックファッションの人々は秋葉原よりは原宿や表参道に集まるイメージがあるし、占い師は秋葉原よりも銀座、新宿、池袋や中央線沿線に出没している印象がある。不倫や復活愛を切望する主婦の方々にとっては、秋葉原は見たことも聞いたこともない異国の地のような場所と思われているかもしれない。

 

MajyutsukoAkiba

 

さて、仕事を終えると僕は朝と同じ道を辿って帰路につく。電車に乗って文庫本を読む。僕は家では小説(創作された物語という意味の)は読まない。僕にとって小説を読むというのは通勤のために開発された行為なのだ。物語とともに秋葉原に近づき、そして遠ざかる。僕はファミリーマートの「バウムクーヘン」を秋葉原以外で食べることはない。それは僕の秋葉原での生活とあまりに密接に結びついているため、他の場所でそれを食べるということが、なにかしら冒涜的で穢れた行為のような気がしてしまうのだ。こうして見ると、秋葉原は僕の想像以上に僕の体内に根を下ろしているようにも見える。僕はいつか重心を他の場所に移動させ、この秋葉原の呪縛から逃れることができるのだろうか?

 

重心がベッドで僕を呼んでいる。でも僕が眠りに就くと、それはまた夜の太陽のようにこっそりと秋葉原へ向かっていくのだ。今日も、明日も。

 

(KATOR)

 

 

 

 

■第4回 第8号掲載(2015.7.10.発行)

 

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回は@ほぉ~むカフェのhitomiさんよりご紹介、カレー専門店BENGALの浅見さんにご登場いただきました☆

 

 

<僕と秋葉原の出会い>

 

僕と秋葉原の最初の出会いはなんと昭和30年代です。たしか10歳年上の兄に連れられラジオの部品を買いに来たことを憶えています。夕方だったせいもあってか、暗い狭い通路が迷路のように続く電気部品屋さん。当時白黒テレビで見たニュースに出てくる戦後のヤミ市と同じ雰囲気、もしかしたら人さらいに拐われてそのまま売られてしまうかも、小学2〜3年生だった僕の秋葉原のラジオ部品屋街はそんな印象でした。しかしその時冷蔵庫を探しに回った電気屋さんでは可愛い女性店員さん(その頃から秋葉原には可愛い女性が働いていた?)がいて、兄が鼻の下を伸ばして楽しそうに話をしているのを見て、大人には楽しい所なのかもしれないと思ったのも事実です。

 

その後ぼくは順調に成長をし、結婚をして間もない時期に転職を決意しました。どうしても海外との仕事がしたかったためT通商というスパイス専門の商社の面接を受けるために久しぶりの秋葉原へ。長髪を切ったその足で面接を受けた甲斐もあってか見事に採用され、そこから僕とスパイスの関わりが始まりました。もちろん秋葉原との関わりも。T通商での僕の仕事は当初は貿易事務。ただし今と違ってメールどころかパソコンもFAXもワープロさえ普及しておらず、海外とのやり取りはひたすら電話交換手を通じての国際電報やテレックス。急がない通常のやり取りは国際郵便を使うというそれが当たり前の時代でした。

 

当時の秋葉原はすでに電気街として有名な町でした。冷蔵庫、洗濯機、テレビ、そしてエアコン等ハコモノ家電がどこよりも安く探せる場所。日本中の人が生活様式の近代化を目指して訪れた時代でした。そのうえ当時はまだ秋葉原駅前には神田青果市場があり、朝早くからそこで働く人達とそこに出入りする業者の人達で、とにかく活気のある町でした。比較的小さな建物が多く、その中にある様々な業界の中小企業で働く人達も生き生きとしていました。しかし残念なことに駅前以外は飲食店の数が少なかったので、今の秋葉原からは想像もできないくらい毎日の昼ごはんを食べるのには苦労して いました。

 

結局僕はその香辛料専門の貿易会社に6年間在籍し、貿易実務以外にも茨城県の工場の一角を借りてカレー粉の製造をしたり、横浜の保税倉庫に行って輸入した香辛料の原料の検品をしたり、産地から売り込みにきた外国人シッパーと商談をしたりと、忙しいながらも楽しく仕事をしていました。小さな会社でしたがその分やりがいもありました。入社時12歳年上のTK社長に2ヶ月間みっちり朝から晩までマン・ツー・マンで厳しく指導していただいた香辛料についての知識は、今でも僕の貴重な財産となっています。中でも東南アジア等のスパイスの産地へ出張に行かせてもらったことはその後の僕の仕事にとって非常に良い経験となりました。

 

その師匠ともいえる若きTK社長が当時役員として経営の手伝いをしていたのが、純インド風カレーの看板を掲げた「ベンガル」で、当時20代半ばのサラリーマンであった僕は、ベンガルの創設者である笹本オーナーの電話一本で、しばしば大事な昼休みを返上しネクタイを外しエプロンをして、昼食時の混雑したカレー屋の手伝いをヨロコンデしていました。まさか25年後に自分がオーナーとなるカレー屋とも知らずに…。その働きの見返りは、毎回ビーフ薄切りカレーの辛口を頂き大満足。大急ぎで会社に戻って昼休み終了でした。

 

楽しく厳しく働かせていただいたその商社時代は約6年間で終わりました。最終的に営業までこなせるようになり若干天狗になっていたところに、カレー粉製造工場でお世話になっていた社長からの新会社設立に伴う引き抜きの話。いろいろ悩んだ末、新しく設立したKS社の取締役営業部長(と言っても営業・貿易実務・経理等全て一人でこなす)としてお世話になることに決めました。KS社の新しい事務所はなんと、また秋葉原に決まりました。場所は当時の秋葉原ワシントンホテルの隣のビルの10階。ワンルームマンションのような作りの綺麗な事務所。その会社での業務内容は以前の会社とほぼ同じ。香辛料スパイス・ハーブ、その他の輸入食材も扱うようになりアメリカや中国への出張も増えていきました。結局32~41歳までの足かけ10年間をまた秋葉原で過ごすことに。
その頃の秋葉原はパソコンが出回り始め、デスクトップ型からノートパソコンがお目見えし始めた頃です。それに伴いパソコンソフトやパソコンゲームソフト関連のお店が勢いよく増えました。秋葉原に通う人たちも比較的年齢層の若いサラリーマンや学生たちが目立つようになってきた頃です。一部アニメのお店もあった記憶はありますが、まだメイド喫茶やアニメーション、ましてやコスプレ文化などは見られなかった時代です。1990年には駅前の神田市場も移転のため取り壊し、その跡地に大きな駐車場ができ、そのあとバスケットコートがポツンとできたのもこの頃です。

 

 

<独立創業そして再び秋葉原へ>

 

41歳になった僕は都内某所でインド・中国貿易中心の会社を設立。話が長くなるのでその時の話は省略しますが、仕事内容はずっと同じスパイスの原料販売。それでも秋葉原のカレー専門店ベンガルにだけはスパイス・カレー粉を直接販売し続けていました。

 

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そして2004年頃からベンガル先代店主笹本さんからの度重なる相談を受け、2006年に正式にベンガル株式会社を買取り二代目店主となりました。とはいえ会社勤めや会社経営の経験はあった僕ですが飲食店経営の経験はなく、今思い返せばよく続けてこられたと我ながら思っています。長い間スパイスの仕事をしてきたという自信と、信頼できる楽しい仲間と日々働き、他にない味・雰囲気のカレー専門店を目指し営業してまいりました。

 

 

<秋葉原を中心として>

 

今現在はまた「ベンガル」のある秋葉原に戻り、ベンガルで出会った様々な仲間たちと楽しく働いています。そんななか、最近ふと感じる事があります。前述した通り秋葉原はどんどんと変化を遂げてきました。これからはSNSの利用で更に加速、国と国との壁も無くなっていくでしょう。そして互いが影響し合いまた新しい文化が生まれ…、これからも秋葉原を中心として。

 

今現在の僕の仕事は相変わらず香辛料・健康食品原料・調味料・食品エキス等、幸いなことに縁が切れず続いています。それらがこれからどういう展開になるのか。実は今、密かな楽しみとしてある商品の開発をしています。業界では有名な東京中央区にある食品会社の研究室で、もうすでに50回以上も試作をしています。一体その商品の完成はいつになるのやら…。でも僕の考えたものが新しい商品となるとは、楽しみです。

 

 

 

【次号への数珠つなぎ】

カレー専門店BENGAL 浅見さん ⇒ 魔術堂 KATORさん

 

 

 

 

 

 

■第3回 第7号掲載(2015.5.10.発行)

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回はメイリッシュの田川さんよりご紹介、@ほぉ~むカフェのhitomiさんにご登場いただきました~☆
カフェメイリッシュの田川まゆみさんからご紹介頂きました、メイドカフェ@ほぉ~むカフェでメイド社長をしているhitomiです。@ほぉ~むカフェは、2004年8月に中央通りのドン・キホーテ秋葉原店さんのオープンと同時に1号店が開店し、皆様にご愛顧をいただいて昨年8月に10周年を迎えることができました。そんな歴史を持つ@ほぉ~むカフェで、私は1号店で2004年12月からメイドとしてお給仕をさせて頂いています。

 

この「アキバの“名物店員”数珠つなぎコラム」では、秋葉原の魅力や文化について自由に語らせていただけるということなので、先日、縁があってメキシコ訪問をさせていただいた際に感じた海外の、秋葉原が好きな人から見た秋葉原のイメージや、現地で拡がっている秋葉原の文化についてをお話していきたいと思います。

 

メキシコではメキシコシティにあるメキシコ国立自治大学でのトークショーやアーティストのBACK-ONさんなどが出演するJ’Fest Expoに出演させていただいたほか、現地のメイドカフェのHouse Maid Cafe(家メイドカフェ)さんを訪問してきました。

 

初日のメキシコ国立自治大学のトークショーは、満席な上に会場の後や左右の通路にまで立ち見が出るほどの大盛況で、日本が注目されていることを実感しました。私は秋葉原のメイドカフェについてお話をさせていただきましたが、拙い内容にもかかわらず、皆さんもの凄く集中をして聞いてくださって感謝するばかり。翌日のJ’Fest Expoでは、ステージに登壇するときに、客席から「hitomiちゃーん!」って声をかけていただいて、びっくりました。@ほぉ~むカフェはメキシコに無いですし、今までメキシコを訪れたこともなかったので、メキシコに私を知っていてくださる方がいて、感動しました。

 

ステージに2つ出演し、メキシコでもマンガやアニメなどを通じてオタク文化が拡がりつつあるんだな、と感じました。流行っている作品は、一般の人には「ドラゴンボール」や「セーラームーン」といった日本では少し前の作品が人気ということでしたが、メキシコのオタクの間では「進撃の巨人」や「弱虫ペダル」など、日本と変わらない作品が人気を集めていました。昔はインターネットがなかったので、日本のアニメの情報などは入ってくるまでに時間がかかったけど、いまはインターネットを通じて、日本の情報がほぼリアルタイムで入ってくるそうです。入ってくる情報の多くはアニメの情報で、日本語の分かる人が日本語の情報を翻訳しているとのことでした。

 

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J’Fest Expoの翌日には、メキシコのメイドカフェ“House Maid Cafe(家メイドカフェ)”さんを訪問してきました。案内されてお店に到着すると、店頭で出迎えてくれたのは、なんと私(笑)。

 

ホームメイドカフェさんは、日本大好きなメキシコ人の方がオーナーなんですが、驚くことに日本には一度も行ったことがないそうです。どうやって、日本のメイドカフェを作ったか聞いてみたら、インターネットを使ってメイドカフェについて勉強をしたそうです。

 

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メキシコでは、本来の意味のハウスキーパーとしてのメイドをする人がいるそうですが、日本式のメイドカフェは、“メイド”という全く別のものとして認識されていました。また、オーナーさんやお店のメイドさんとお話をしていたら、ぜひ本物の秋葉原のメイドカフェの“おもてなし”を教えてくださいということで、急遽私が講師になって特別教室を行い、@ほぉ~む式のお給仕の方法や【萌え萌えきゅ~んっ】の愛情の込め方をレクチャーしてきました。

 

日本のお給仕に比べると、レベルは決して高いとは言えませんが、メイドカフェにかける愛情や情熱は、日本に比べても負けてはいなかったので、自分自身にとっても強い刺激となりました。私はこれまでにタイ、シンガポールのメイドカフェに行ったことがあったのですが、どの国でも秋葉原という街を越え、日本文化の一つとして認識されていました。そしてメキシコでも、伝統文化と並んで日本を代表する文化として知られていたことは、メイドとして働く者として、背筋を伸ばさなくてはと感じました。

 

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今回の旅を通じて、日本式メイドを世界中の人に知ってもらい、その魅力を感じていただくことで、世界に誇れる日本のカルチャー・職業となる日を夢見て、今後さらなる精進をしていこうと心に誓いました。

 

 

【次号への数珠つなぎ】

@ほぉ~むカフェ hitomiさん ⇒ カレー専門店BENGAL 浅見さん

 

 

 

 

 

 

■第2回 第6号掲載(2015.3.10.発行)

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうこちらのコーナー。今回はトップバッターのササキチ君よりご紹介、メイリッシュの田川さんにご登場いただきました~☆

 

はじめまして。カフェメイリッシュで働いております田川まゆみと申します。私は、昨年までぴなふぉあというメイドカフェで約10年働いていましたが、メイリッシュではまだ働き始めて半年の新人です(^^; なので“名物店員”と言われると正直どうなんだろうか…と思ったのですが…。そんな私を指名してくるあたりが、サンコーレアモノショップ・ササキチさんのマニアックさなんだと思いますw しかも、ササキチさんに牛丼をおごってもらってしまったので頑張って書きたいと思います(笑)。念のため、店長のまほれさんにも立ち会っていただいて進めていきますね!!
(店長はメイリッシュ歴10年なのでご安心くださいw)

 

 

 

<アキハバラの魅力>

アキバの魅力を一言でたとえるなら“毎日がイベント会場”だと思っています。先日、この春に終了した「プ●キュア」のおもちゃを駆け込みで購入しました。大人になった私たちの世代がソレをどこで楽しむかといえば…、わかる人が集まるイベント会場に持っていくかネット上の友人と生放送をしながら遊ぶ、この2つくらいで近所の子供となりきって遊ぶとかはほとんどありません(苦笑)。でも、イベントが毎日あるわけではないじゃないですか、そこでアキバですよ。

 

他の街で、ましてや飲食店で突如おもちゃを出すなんて絶対できないし白い目で見られます。でも、アキバはどちらかといえば「何?それ何ですか?」と一緒に遊んでくれます。お客さん同士でもスタ ッフの方でもみんなあたたかく見守ってくれます。

 

店長:やさしい人が多いですもんね。アキバって。

 

田川:店長は初めてアキバに来たのはいつ頃だったんですか?私は、アニソン歌手の三●野瞳ちゃんのイベントを見にヤマギワへ行ったのが最初かな?まだ、ドンキの場所がアソビットシティだった頃です。

 

店長:私は、大阪に住んでいたのでコミケ帰りに来たのが最初。とにかく人が多い印象。当時は、東京・原宿以外でロリータファッションで歩いたらびっくりされちゃう頃だったから、秋葉原って“異次元空間”だと思いましたね。

 

田川:アニメのTシャツやバッグを堂々と持ち歩いても大丈夫なところも嬉しいですよね。今年は、 初めて「特撮ヒーロー」にもハマったんですが、1から情報を集めるのも大変じゃないですか。気付いたら「イベントが終わってた!」みたいなことも多々あるわけですよ。でもアキバなら関連グッズを身に着けている方に声をかければ「それなら●●さんが詳しいよ」と紹介してもらえて、自分よりもっと詳しい人から新しい情報や知識を得られるんです。

 

興味があったけど踏み出せなかった「アマチュア無線」をはじめてみたり。なつかしの「ミニ四駆」で遊んでみたり。それを楽しんでいる先輩にどんどん出会えるんです。もちろんインターネットでいくらでも情報は手に入れられる時代になっていますが、その情報はいつのものでしょう?誰か一人のレポートであって実際はどうなんでしょうか?

 

町を歩いて看板や張り紙を見たり、発売日の並びを見て驚いたり、特典や広告に力を入れられてるなぁとか、聞こえてくる他の人の会話を聞いて、なるほどそれだからみんな買うのかー!!と勝手に納得してみたりw 「これ、流行ってるな!」「いやいや。○○のほうが。」「じゃ、当然こっちはチェックしたよね?」と語り合うのが楽しい時間だったりします。

 

学生の頃から、「理解してくれる人が少ない学校生活」より「趣味人の集まるアニメイベント会場」の方が好きでしたから。んで、そっちでできた友人って、約束して無くてもまた巡り逢ったりするしw 色んな意味ですごくおもしろいですww

 

店長:私もメイドカフェで10年働き続けた理由を考えると…たぶん、居心地が良いからだと思います。

 

田川:そもそも店長がメイドカフェを知ったきっかけってなんだったんですか?私は、メイリッシュに勤めていたコに紹介してもらって…って感じだったんですが。

 

店長:テレビ番組の「ガイアの●明け」ですね。そこで見て衝撃を受けました!!

 

田川:すごい!!それって、メイドカフェが初めてテレビで紹介されたというアレですか!?私も見たかったー!!!

 

店長:もともとコスプレはやっていたし、見るのも好きだったんですけど。それをきっかけにお店のサイトを見て、メイド服はもちろん色んな衣装やイベントがあるのを知って…こんな店他には無いなwwって(笑)。ちょうど上京するタイミングだったので、働きたい!って思ったんです。

 

田川:当時のメイドカフェは、まだ3軒しかなくて。ネタ的な(例えばヤンキーDAYやアフロDAYとかw) はっちゃけたネタ的イベントやってたのメイリッシュくらいでしたからねw

 

店長:あと、色んな服を着るのが好きだし。ファミレスDAYやコンビニDAYとかイベントを行うに当たって、それぞれの職業や空気感、人間観察するのが好きです♪

 

田川:イベントを自分たちで企画して実行できるというのも楽しみのひとつですよね。その日にちなんだメニューを内容やデザイン、盛り付けを考えたり、がんばって衣装を作ったり。挨拶はコレに替えてみよう!とか、これを言われたらお約束のアレをやろうとかw (警察なら、あんぱん&牛乳・カツ丼×尋問とかねw 衣装は婦警さんが王道みたいな☆)

 

実は、「メイドカフェの時給は安いのによく働くね。」とけっこー言われます(苦笑)。もちろん大変なことは山ほどあります(^^; でも、それを超えるプライスレスがあるんですっ!居心地の良い街で、やりがいのある仕事。これって純粋にすごいことだと思いませんか???これからも、秋葉原で新しいことを発見しながらがんばっていきたいです。

 

あきかるをたまたま手に取った方。興味があったら秋葉原で毎日通ってみてはいかがでしょうか?もし似たような感覚を得られるなら…仲間ですね(ニヤニヤ) 「毎日がイベント会場」このフレーズが本当かどうか?あなたの目で、耳で、是非体験して確かめてみてくださいね(^0^)ノきら~ん **

 

…って、ほら。メイドさんだからって期待した人が「なんだよ!ただのこっち側の人じゃね?」って思ってるじゃないですかぁ。(クレームがある人はサンコーレアモノショップのササキチさんまでお願いしますw) ここはやはり…、私のような玄人向けメイドではなく、萌え萌えなメイドさんにバトンタッチするべきでしょう!「おいしくなる魔法」や「萌え萌えじゃんけん」を考案した@ほぉ~むカフェのhitomiさん、次号はよろしくお願いしま~す(^-^)v

 

 

 

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第1回 第5号掲載(2014.12.30.発行)

 

秋葉原に存在する様々なお店の“名物店員”に秋葉原のことやカルチャーについて、思う存分語ってもらうコーナーです。今回は記念すべき第1回、トップバッターはあきかるの取材コーナーでもお馴染み、ササキチ君に登場してもらいました~☆

 

 

 

<秋葉原とササキチ>

みなさん初めまして、秋葉原を中心に活動しております、アキバブロードキャスターのササキチと申します。秋葉原の数珠繋ぎコラムが開始という事でトップバッターを勤めさせて頂きますが、僕にとっての秋葉原と言えば3 歳の頃から通うほど、無類のアキバ好きです。当時は毎月交通博物館に行きゲームや家電を見て帰るのが楽しみだったこと、今でも覚えています。小学生になるとゲームを買いにアキバに通いつめ、中高生になったらPC を買い、ゲームやコスプレにハマリ出し、社会人になってからはメイドカフェに通いつめ、アニメや漫画にはさらにどっぷりとハマって、2 次元の嫁と出会いましたw

 

そんな時期、秋葉原にあった放送局でアキバの情報番組を開始、毎週伝え続けるために秋葉原を取材し続けましたが、気が付くと今は色んなメディアで活動しております。自分でもネット放送局を立ち上げて秋葉原なコンテンツの番組も制作、アキバで行われるイベントも多々お伝いさせて頂いたり、秋葉原のコーディネート的な活動をしたり、アキバが舞台の漫画にも登場したり…。最近は仲間達に支えらながらアキバを盛り上げる活動を強め、秋葉原の店舗メディア交流会の開催など、気が付けばアキバを中心に生きております。

 

秋葉原に今でこそどっぷりな僕ですが、10 年前は原宿で自分のアクセブランド(kowareya)のリメイク服やアクセを販売、写真展などの活動もしていました。長年コスプレで通っていたコミケのサークルやアキバのレンタルボックスなどで自分のブランドアクセを販売するようになったのがきっかけで、アキバでライブ活動を開始、徐々にこの町に活動も集約するようになっていったのです。 そして7年前にこの町(秋葉原)で働くようになった事、アキバのネット放送局の番組取材で様々な店舗さんやアキバが大好きな方々と触れ合った事で秋葉原のリアルな声を耳にするようになり、自分も何か役立てればと自然に今の活動になっていきました。

 

秋葉原に通う側から働く側になった事でいろんな出会いや発見もありました。 まず自分のお店の商品など、今でこそ色々と理解していますが、働き始めた当初は逆にお客さんの方が詳しくて、色々と教えてもらっていました。(あっ!今でもお客さんの方が詳しい事も多いです)秋葉原は毎日発見や勉強ができちゃう町なんですよ。そして、年々変化していくのもアキバの特徴。小さい頃の僕にはゲーム屋をいくつも回り最安値を探し出して買うのが楽しい町でしたが、気がつけば歩行者天国でパフォーマンスが盛んになり、色んなミュージシャンやアイドルも登場、そしてメイドさんが現れてメイドカフェがガンガン増え、新しいお店ができる度に並んで自分のお気に入りのメイドカフェを探してました。当時のメイドカフェは基本どのお店も30分以上並ぶのが当たり前なくらい混んでましたね。電車男のドラマでさらに加速してました。通いつめたメイドカフェが閉店した時はマジ泣きしましたよw

 

そしてフィギュアショップも増え、地下アイドルさんも増え、活動するライブハウスも増えて駅前も綺麗になり、アキバに段々と女性が増えていくのがわかる時代となりました。 ミリタリーショップも昔からあるお店を中心に末広町付近にも沢山増えたり、飲食店もここ数年でガンガン増え、どこを見ても飲食店がある町となりました。(昔は行く店も限られてましたからね、そりゃおでん缶も人気出ます)。小さい頃は神田のマルゲ屋行くついでに吉野家行く感じでしたw(牛丼どんどんとかサンボは健在でしたけど) とまあ、そんなアキバ昔話あるあるはさておき、ここ最近秋葉原は海外からの観光客が一気に増えて来ております。 レアモノショップでは外国人の方の売り上げがかなり伸びてるし。それだけ秋葉原はまだまだ世界に注目され続けてる町であり、聖地であるんでしょうね。

 

秋葉原について語りだしたらきりがないので、今後のアキバブロードキャスターとしての動きについて。秋葉原が大好きな海外の方達にも秋葉原を楽しんでもらいたいのもあり、2015年は海外にアキバを持っていく動きを色々とできればと思っております。そして2020年のオリンピックの開催時には既に色んな外国人と仲良くなっており、さらに世界のいろ~んな方々と輪が広がっていければそれはとっても嬉しいなって☆

 

さてそれでは!数珠繋ぎなので次の方を紹介したいのですが、やはり自分としてはこの方のお話が聞きたいなぁってのがあります!カリスマメイドの田川さん!バトンタッチさせて下さい☆

 

 

 

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プロフィール

juzu1

 

サンコーレアモノショップ総本店 2 階店長でもあり、CoreRare(アキバを中心としたネット放送ちゃんねる) や、バンド:探偵壊れ屋 (秋葉原に事務所があるというオルタナティブロックバンド) 、さらにはアクセサリーブランド:kowareya(全て手作り 1 点モノアイテム、V系、アイドルさんの衣装提供などもしている) など活動範囲も幅広い。コスプレ歴は16年。